2022情報I 1学期
第10回 授業の振り返りより

質問より

1.2MBのパソコンを使って当時佐藤先生は何をされていたのですか。/初めて個人で使えるようになったパソコンでは、どのようなことができたのですか。
文書作成・表計算・作図・通信などをやってましたよ。今と変わらない感じですが、解像度が違ったり、できることが限られていたりしました。ちなみに、インターネットなんてなくて、パソコン通信というものでした。
回覧板は一人から多数、ということで良いのでしょうか?回す方向は一方向でも、情報を伝えようとしているのは一人だから。回覧板は、時間は共有しなくて良いと思うのですが、場所は共有しているといえるのでしょうか?情報が受け渡される場所(ポストなど)に発信者と受信者がどちらも行くので、場所は供しているような気もします。
回覧板は1対多ですね。時間は共有せず、場所も共有しないですね。全員が同じ場所で受け渡しするのであれば「場所を共有」になります。
通信するのにお金が必要なのはなぜですか。
通信の機器の稼働・保守・管理にお金がかかるからです。通信会社が線を引いたら、利用料を取って投資を回収しますよね。
モバイルインターネットを最初に発売したのは日本なのに今ではiPhoneなど外国の製品が幅広く使用されているが、なぜそのまま発展しなかったのか疑問に思った。
日本国内だけで独自の進化を遂げて、後戻りできないほど発展しちゃったんですね。海外の回線では使えなかったので国内限定となったわけです。タッチパネルとマルチメディアを軸にしたスマートフォンは圧倒的な使いやすさとわかりやすさで爆発的にヒットしたんです。
ガラケーの正式名称は何ですか。
正式な名称じゃないのですが、「ガラパゴス化した携帯電話」という意味です。
パソコン(初期)は現代のスマートフォンの1/2000程の性能しかないというのは、すべての分野において言えることなんですか?
30年前のパソコンは16ビット16MHz、パソコン室のPCは64ビット3.2GHzデュアルコアと言ったところでしょうか。速度で200倍だけでなく、同時に処理できるデータが4倍で、2つのCPUが使えますから、ざっくり1600倍ですね。手近にあるスマートフォンは64ビット2GHzオクタコアですから、125×4×8で4000倍です。様々な機器に利用されている小さなコンピュータも、このような劇的な進化を遂げています。
電話はどのようにして相手とつながっていますか?
線でつながっています。スマートフォンは線でつながってないですけどね。今の電話はいろいろな方法があり、一部インターネットの仕組みが使われています。昔の(50年ぐらい前としておきます)電話はたった2本の線で相手の声を受信し、こちらの声を送ることができるだけでなく、電話機が動作するための電圧も送られていました。
なぜアンチ任天堂なのですか。
任天堂のゲーム機ってテクノロジー的に面白いものがあまりないですよね。こっそり赤外線カメラが入っていたりすることはありますけど。また、任天堂のビジネスモデルがゲームメーカーに厳しいもので、初期のゲームメーカーがいくつも潰れているんです。
WikipediaとCGMの違いはなんですか?Wikipediaもユーザーが内容を追加していくという点においてはCGMと同じだと思うのですが。
WikipediaもCGMの一つと考えることもできますね。ただ、CGMとされるものは、運営側が意図を持ってジャンルなどを整備し、広告の収入が得られるような構図になっているものです。Wikipedeaはその点中立な立場をとり、寄付で運営しています。
先生がおっしゃっていた「完全な匿名」のスキルを得るにはどのぐらいの時間が必要なのでしょうか。
完全な匿名は存在しません。経路の情報が消えるようにして、特定を困難にすることはできますが、通信している状態(データをやりとりしているとき)では、相手がわかっていないとデータを遅れません。
炎上した人を庇ったり守ったりするような発言をすると今だとその人も炎上してしまいますが、当時の先生を炎上から守ってくれた生徒は炎上しなかったのですか。
まったく炎上しませんでした。今のようにTwitterユーザでなければ書けないTwitterの投稿と違って、掲示板のようなシステムですから、アカウントがなくても書き込めるからです。その当時、個人での情報発信をしている人は限られていたので、書き込んだ人のページやアカウントなんてなかったのです。
先生は家にどんなパソコンがありますか(最近パソコンを親が作ってくれたのでとても興味があります)
いろいろです。動かしてないですけど古いのから10数台はあると思います。動いているものだけで5台ぐらいあります。
どうやってとても重かった携帯電話は小さくなっていった?
授業でも説明したとおり、携帯電話の半分以上は電池だったのです。つまり、電池の技術が発達して、小型化が進みました。当然、ほかの部品の小型化も効いてますけどね。
パソコンがではじめたときからじぶんでつくっちゃうひとはいた?
自作のパソコンといっても、部品を集めてつなぐだけですからね。部品としてパソコン内部のパーツが売られるようになった頃(20年ぐらい前かなぁ)から自作が始まったわけで、パソコン内部のパーツを自作することはまず不可能だと思います。
もしインターネット上でアクセス記録を利用した取り組みをしたい場合、申請などが必要なのか。
取り組みというのが何を指すかわかりませんが、申請してもデータは得られません。サーバに対するアクセス記録はサーバを持っている人なら自由にとれます。回線のアクセス記録は警察の捜査や開示請求がない限り見ることはできません。FreeWi-Fiなどを利用して傍受したアクセス記録は内容を公開した時点で電波法違反となります。
セキュリティー甲子園の練習場所は結局どうなったんですか?
大会の企画自体が変更になりました。
電気のメディアとは何ですか。
電気を使ったメディアの話ですね。電話とか電信とか、電気を使うことが始まらなければできなかった通信メディアですよね。あ、電波もそうですね。

感想より

日本でモバイルインターネットが開発されたのに他国に影響がいかなかったのか不思議に思った。情報(意見)の発信はリスクを伴うため、書き込まないようにしようと思った。
通信って通信機だけじゃ通信できなくて、中継したりするための通信網が必要なんです。いわゆるインフラの部分ですね。こればかりは地元の業者が関係しないとどうにもなりません。
ポケベルについて名前と連絡手段であることしか知らないのでもっと知りたいと思いました。現代になるにつれて場所や時間を共有しなくても情報が伝えられるようになっていっていることがわかりました。
ポケベルって一般的なマウスより小さな直方体で、1台1台に電話番号がついています。その番号にかけるとポケットでベルが鳴って、かけた人の電話番号が表示されます。公衆電話から折り返し電話をすることで、出先でも連絡できたのです。かけた人の電話番号だけでなく、任意の番号が送れるようになり、じわっとヒットし、文字が送れるようになり、高校生にヒットしました。
昔の情報共有はとても時間がかかり、不便だったことが分かった。現在の便利な世の中に生まれてこられて幸せだと思った。しかし、いつでもつながれることはプライベートの時間が侵食されることでもあると思う。「つながらない権利」があると聞いたので、この権利などを用いて公私混同しない生活ができるようになっていってほしい。
不便にもかかわらずコミュニケーションをとるということは、それだけ貴重な体験だったわけで、今よりも「想い」が伝わったかもしれませんね。
情報技術が発展したことで、コミュニケーションの取り方もより便利に、軽量化してきたと感じました。一度ネットに出た情報は完全な消去が難しいため、本当にネットにあげてもいい物なのかをよく考えることが大切だと分かりました。実名でも匿名でもそれぞれにメリット、デメリットがあると分かりました。匿名だと名前が分からないからといって、誹謗中傷するような投稿する人もいると思うのでネット自体に匿名性をなくした方がいいのではないかと思いました。
そのような対策をとる国もあるようですが、自由な意見交換を阻害する要因となることもあるようです。単に規制することがいいことだとは限らないようです。
 情報技術によってコミュニケーションは変化し、それによって時代も変化していくのだと感じた。コミュニケーション手段を今回の授業で出し合った際に気づいたことは、時代が変わってもその時の情報ツールが排除されるわけではなく、手紙などの良い文化はその後も受け継がれていくということだ。これからも新しい技術・モノはどんどん出てくるだろう。しかし、そのなかで手紙のような本当に良いものを見つけるためには、好奇心を持って新しいものにアンテナを張っておくことが重要だと考えた。また、その情報ツールを使ってコミュニケーションをとる上で、パーソナライズしている社会といえど、他の人へのリスペクトを忘れないことが大切だと思った。
いつでも連絡をとることができるということは便利である一方、休みの日ですら仕事のメールがきてしまうなど不快な気持ちになる原因となってしまうこともあると気づいたため、連絡をとる際には時間帯に気を付けようと考えました。また、個別化が進み共通の話題が少なくなっていると気づいたため、相手に興味を持ち尊重することが大切だと思いました。匿名は無責任であることと表裏一体であることに気付いたため、匿名であってもモラルを守ることを意識するべきだと考えました。
インターネットの登場により、コミュニケーション手段が変化していったことが分かった。先日、家で夜ご飯を食べているときに、祖母が高校生の頃イギリスの高校生と文通をしていて、その子が祖母の地元である鹿児島に来た時に鹿児島の案内をした話を聞いた。その話を聞き、現代では体験できないであろうことに対して、純粋にうらやましいなと思った。また、現代には難しいことの要因として、SNSの裏の面であるなりすましなどの危険性があると思った。SNSは、浅く広い交友関係を作ることに特化しているのではないかと思った。この特性をいかしつつ、気を付けて利用していきたい。
インターネットはいじめの温床になっている。透明性が保たれ、ばれないと思っているからこそ悪口などを書き込みやすくなっていると思う。現在社会では、多様性や多様化といったことばは良い意味でつかわれていることがほとんどである。コミュニケーションの種類も多様化し、情報を共有しやすくなったのか、しにくくなったのかわからない世の中になったと感じる。インターネットでのコミュニケーションが可能となり、特定の人と話したい内容だけ、コミュニケーションが取れるようになっていった。科学的根拠が乏しい情報や、一部の人の偏った意見に左右され、同じような情報しか得ることができなくなっていく、フィルターバブルに入らないよう、注意しながら、インターネットを使っていく必要があると思う。
メディアが発達するまでは人が場所と時間を共有しないことなど考えられなかったはずだ。なのに今回場所や時間を供給していない例を探していく中で、現在の社会ではもはや当たり前のことになっているということに衝撃を受けた。このような社会になって相手と対面することもなくなってきたからこそ、匿名性や記録性の特徴、気を付けなければならないことなどをしっかり把握する必要があると思った。
技術の発達が私たちの生活を変化させて、この発達があってこの生活の便利さを生み、今後も遠く離れていても同じ空間にいるかのようにホログラムやARデジタル世界での会話などもっとすごい連絡手段ができていくのかなと思った。それに加えて、昔は校内放送やポケベル、映画や音楽を再生するなどそれぞれで分かれていた機能が今やスマホやパソコン一つでできるようになり、このような機能の一体化が今後も進み、それがsociety5.0の達成のカギの一つになるのだと思った。また、伝達手段の発達で紙しかなかった時代はもちろん、コンピューターの性能が今よりもとても低い時代にはできなかった、遠く離れた人との時間の共有、最近の情報の伝達を可能にしたのが情報機器の発達だと分かった。コンピューターが世界的にに広がったことと匿名性があることで共通の趣味を持つ人と話せていつでもどこでも自由に発言できるようになったが、その分相手を傷つけることも容易になったり、同じような考えの人が集まり、排他的な考えが生まれる可能性も高くなったりもして気を付けないといけないことも増えたと思う。インターネットに上がった情報は消えず注意していても失言になってしまったり、部分的に切り抜かれてレッテルを張られることがあって、その事実ではないよくなかったことも自分のステータスとして残ってしまうのは怖いし、この誤情報への対策としては、みんなが情報を多角的に調べ判断していくしかないと思った。
今回、コミュニケーション方法の移り変わりを学び、あることが頭にうかんだ。日常のネットコミュニケーションだ。 私の父はエンジニアをまとめる管理職で、しょっちゅうリモートで会議をしている。そこだけならさして問題はないのだが、問題はそれを家でやっていることだ。リモートをしている間、歌ったり、父の部屋の近くで音をたてたりすると、そのすべてが相手側に伝わってしまう。(最近の集音技術ってすごいのね…)ネット社会が日常生活に浸透してきて、いつでもどこでも仕事ができるようになったことは良い面であるが、同時に、同じ生活圏内にいる人の行動を制限してしまうという側面もあると思う。技術の進歩は情報の共有を行いやすくした。それは同時に、パーソナルスペースを侵害してしまうことにもつながると感じ、個人の尊重など、憲法の大原則を今一度、社会人も学びなおすべきだと思う。
今回の授業で、「サイバーカスケード」という言葉を初めて知り、ネットにおける、人の心理(学)というのに、非常に興味を持った。ネットでは特に、同じ主張・思想の人が偏って集まりやすい、というのはどこかで知ってはいたが、ネット上で強力に結びつくことで、異なる意見を一切排除した、閉鎖的で過激なコミュニティを形成する現象、には、興味をひかれた。これは、群集心理とはまた一味違った内容だなと思った。極端な世論が形成されやすくなるとする仮説もあり、課題研究のテーマとして面白そうだなぁと思う。また、これを提唱したのが憲法学者だというのも面白い。ネットは、IPアドレスを解析すれば、本人の特定までできる=実名性というが、それは調べようとした場合であって、やはり表面的には「匿名」であって、軽率な発言をしてしまう人間は生まれてしまうものだと思う。さらに、フェイクニュース(ディープフェイクなども)も、色々投稿する人がいて、気をつけなきゃと思った。しかし、インターネットの完全な実名化はしなくてもいいのでは?と思った。
情報の一部分だけを見て判断することは勘違いや思い込みにつながり、場合によっては他人を傷つけてしまうことになるので情報の一部だけを見て全てを知った気にならないように、そして、自分とは違う意見にも触れて偏った意見を持たないように気を付けたい。また、仕組みを知ると小さなことで感動できるという先生の言葉を聞いて、私もそのような感動を感じたいと思った。そのために、身近にある物の仕組みに意識を向け、気になった物については調べるようにしたいと思う。
情報の伝達手段が時代とともにどのように発展していったのかがよくわかりました。その流れの中で私が最も重要な転換期だと思うのは”電気の発明”です。紙の時代までは、どうしても物理的に何かを目的地まで動かす、もしくは自分が動いて取りに行かなければ連絡が取れませんでした。ですが、電気の力で連絡が取れるようになったことで、人と人とのコミュニケーション速度が急速に上がり、文明の発達も早くなっていったのだと考えました。またインターネットができたことにより、似た趣味がある人同士で簡単にやり取りができるようになったので文化の種類(ゲーム、漫画、アニメなどのジャンルのようなもの)が増え、人々の生活を豊かにする元の一つとなったのではと思います。
情報の伝達方法を時代ごとにどう変化しているのか知れて面白かった。個人的には簡単な連絡などはスマホを使った情報通信が簡単だが誕生日など何かあったときには心のこもった手紙などが嬉しいなと思う。そう考えると紙という伝達方法は使われるようになってから1000年以上経っても人々に大事にされているから偉大だなと思った。
情報技術の発展とともにコミュニケーション方法が変化しているということは、各世代によってなじみのものが違っているということでもあるのが興味深いと思う。ここまで急激に変化していっているのは今が初めてではないかと感じた。石に刻む方法から紙に移り変わっていくのも現代のように急激なものではなく、長い時間をかけて変遷していったと思うので、なかなか人類史上でも不思議な時代に生きているなと感じた。
昔は限られた人しかメディアを活用できなかったと考えると、いつでもどこでも誰でもメディアを活用できる今の時代は凄いと改めて感じた。テレビからスマートフォンに移行したという話で、確かに昔より流行りという言葉を聞かなくなったなと思ったし、個人で自分の好きなものだけを選んで見ることが出来るということは良い面もあるけれど、特定のものの情報しか入手できないという問題点もあると思った。
匿名性とはあくまで個人情報の非公開性であるため、完全な匿名性は存在しないことに気づいた。しかし、このことに気づいてない人が大勢いるため、サイバーカスケードや炎上が簡単に起こってしまうということに気づいた。そして、今の子供たちは小学校から情報の授業があるため、正しい匿名性を子供のころから知ることができる。一方で、大人は自分から学ばないと知る機会を得ることができないため、インターネットを駆使して大人に今以上に知らせなければならないと考えた。
普段当たり前に使っている、ソーシャルメディアについて今回の授業で改めて特徴などを深く考え直すことができた。コミュニケーション手段は、時代が進むにつれて、だんだん遠くに発信できるようになり、時空を超えてコミュニケーションすることが可能になることを知って、関心した。そのようにどんどん便利になっていく中で、いつでもどこでも誰とでも繋がれることができるようになったのは、危険が増してしまっていて、そこをコントロールするのが利用する人間の役目だと考えた。コンピューターの記憶力が大幅に上がるということは、逆に言えばどこかに保存しているという意味なので、技術の発展に伴って、リスクも高まっていることを常に意識しながら私たちはソーシャルメディアを扱わなければならないと思った。

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